イランのレズビアンカップルへのインタビュー(1)
IRQO(イランクィア協会)のサイトにあるレズビアンカップルへのインタビューをKEIさんが翻訳してくださったので、掲載します。前回のゲイカップルのインタビューと比べて読んでみると、とても興味深いです。イラン人のレズビアンのふたりの言葉から、イランでレズビアンであるということの生き難さが伝わってきます。
イランのレズビアンの声を伝えて下さったKEIさん、本当にありがとうございました。
このサイトではこれからもイランのLGBTの人たちの言葉、物語をできるだけ伝えていきたいと思います。
翻訳にご協力頂ける方がいらっしゃいましたら、ぜひ管理人までご連絡ください。
イランのレズビアンカップルへのインタビュー
聞き手:Arsham Parsi
英訳:Shadi
http://www.irqo.net/IRQO/English/pages/063.htm
自己紹介をお願いします。
わたしはShaghayegh、33歳です。こちらはガールフレンドのNazaninで、32歳です。わたしたちはつい最近、イランから逃げ出してきました。わたしたちはレズビアンで、つきあって数年になります。
あなたにとってのレズビアンの定義は?
Shaghayegh:レズビアンとは性的にも感情的にも女性に魅力を感じる女性であり、女性とだけ関係を持ち、男性に心惹かれることがない存在です。
Nazanin:でもイランのレズビアンの現状はそうではありません。多くが嘘をついて生きるか、それとも結婚させられるかです。あきらめて結婚した場合、意に添わない生活を強いられることになり、自分はもとより、夫や子どもたちにも嘘をつくことで大きな罪を犯すことになります。
Shaghayegh:イランには「レズビアン」は存在していません。イラン社会ではバイセクシュアルであることを強いられるからです。世の中や家族から、少なくとも1回は結婚しろ、つまり男性と一緒になって男性にレイプされろというプレッシャーを受けるからです。男性とかかわりのない人生を選ぶ権利はないのです。
わたしが個人的にお話するレズビアンはあなたたちが初めてです。ゲイ男性にはレズビアンの知り合いがいません。異性愛者もレズビアンを知りません。もしかしてレズビアン同士でもあまり知り合いがいないのではないでしょうか。なぜレズビアンをどこにも見かけないのでしょうか。
Shaghayegh:恐怖心です。カムアウトすることへの恐怖です。知られてしまったらどう思われるだろうという恐怖、社会の中で自分の居場所を見つけられない恐怖です。自分自身を受け入れることさえできないのに、異性愛者が自分たちを受け入れてくれると期待できるはずはありません。家族のことも恐れています。これまで何のてらいもなく、すべてを乗り越えてここまで来たわたしたち二人でさえ、ほんの数年前まで「レズビアン」という言葉を嫌悪していました。わたしは昔、ガールフレンドがいてその子とセックスをし、男性とは何のかかわりもない生活をしていたにもかかわらず、「レズビアン」というレッテルから逃げ回っていました。この言葉の本当の意味を知らなかったからです。レズビアンとは何者であり、この言葉がどういう意味かについてのいろいろな記事を読むようになって初めて、自分と折り合いをつけられるようになりました。イランで一般に信じられているのとは違って、レズビアンはポルノ映画に出てくる女ではないのです。この言葉は女性にのみ心惹かれる女性を表す言葉です。女性へのこの感情はとても強いもので、自分の心をのぞき込むだけでそれが実感できます。
Nazanin:その原因は、イランの家族の拠って立つ価値観、そしてイラン社会に存在する古い文化と伝統にあります。その中で最も大事なことは結婚であり、そのため娘は父の家で限られた期間しか過ごせません。子ども時代にたまたま耳にしたさまざまな言葉もそうです。こうした言葉は、家族の出身階級や育てられた文化の影響を色濃く受けています。もちろん国中の全員がそうだというわけではありませんが、いわゆる教養のある階層出身の人の一部も、同性愛をおぞましいものだと考えています。子どもの頃からずっと聞いて過ごしてきたことを頭から追い払うためには強い意志が必要です。最初から家族と闘い続ける人もいます。とてもボーイッシュな女の子もいますから。逆に、自分をだまし自分の家族をあざむくことに一生懸命になる人もいるでしょう。イランでインターネットが利用できるようになって以来、この問題についての情報を流せるようになりました(少なくともフィルタリングによる検閲が始まる前までは)。読んだり勉強したりできる情報源があれば、孤立した存在であっても、この問題に取り組むのが、少なくともいささかでも知識を得るのが、ずっと楽になります。たとえば衛星放送を見れば、社会全体に対するその影響が分かります。小学生であっても10年前や15年前とはとても違います。ガールフレンドやボーイフレンドを持つという考えはすでに普通のことになっています。小さな男の子が女の子に好意を持ったり、子どもたちが一緒に遊び「友達」になれるように母親が贈り物を買ってあげたりするようになりました。以前はこうしたことは、子どもだけでなく大人にとってもふさわしくないことだと思われていました。
Shaghayegh:この国の文化から見てガールフレンドやボーイフレンドは受け入れられないと言われていますが、イランには男性とつきあうことがなく、そういった問題がそもそも存在しない少女たちがいます。思春期を過ぎてもボーイフレンドがいない女の子は多いですし、そういった子に家族は「この子は慎み深い」と言って、ボーイフレンドがいないことで慎み深さを評価します。もちろん家族は、もしかして彼女は異性に興味がないのではないかなどとは思ってもみません。ボーイフレンドがいない女性がみんな、宗教心が篤いからそうしているわけではないのです。「男の子とつきあうなんて正しいことではない」と言いながら、信心深いという評価を利用して自分の性的指向を隠している可能性もありますよ。そうすれば女の子と深い関係を結ぶことが楽になりますから。イランにはこんな女性がたくさんいます。イランの文化がこういった行動を促してきたのです。イラン国内のバイセクシュアル、ゲイ、レズビアンの比率はとても高いけれど、残念ながら誰もそれを公言する勇気がないため、結局は自分のためにも周囲の人のためにもならない関係に入り込んでしまうのです。たとえば女性が結婚後も女性と関係を持ったり、夫が男性と関係を持ったり。こうした不誠実な行為によって家族が壊れ、子どもたちに害が及びます。これは例外的な出来事ではありません。
Nazanin:そもそもの原因は、イランの閉鎖的な文化、つまり男と女の婚外関係が禁じられている文化にあります。もちろん、性的に惹かれていることを違う形で表現することもあるでしょう。女の子が男の子とつきあう勇気がなくて、親友の女の子をその代わりにする、といったケースです。この場合、その子が100%レズビアンだとは言えません。ただの性的冒険にすぎない可能性もあります。Shaghayeghが言ったように、同性に惹かれる気持ちは誰にでもありますが、それを積極的に行動に移す人もいれば、そうではない人もいます。イランでこうした出来事がよく起きるのはそのためです。彼ら(親たち)は[娘の部屋の]ドアを閉めて、「ガールフレンドと一緒だから安心だ、一緒に勉強しなさいね」と言うでしょう。こうして女の子二人は一緒に過ごし、性的関係を結ぶことができるのです。
社会的な事情から同性の性的関係が生じる場合もあれば、(社会的な事情と関係なく)個人的な気持ちから同性の誰かに惹かれる場合もある、ということですか。
Nazanin:その通りです。不幸なことにイランではよくあることです。
Shaghayegh:多くの人はこうした経験を少なくとも1回はしています。これは性的指向が理由では必ずしもないのです。この経験を重ね、心からこの道を進みたいと考える人は同性愛者またはバイセクシュアルと言えるでしょう。でも1回だけ同性とつきあったことで、その人が同性愛者になるわけではありません。わたしは同性愛は遺伝的要素によって決まり、子どもの頃からその人の中に存在しているのだと考えています。たとえば、学校で女の子が女の子に恋したとしましょう。この女の子の行為が社会から植え付けられたものでないことは確かです。1回だけ経験しても、それを忘れて、二度と同じことをしないこともあり得ます。(イランでは)ごくごくありふれたことなのです。
(続く…)
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