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イランのゲイカップルのインタビュー(2)

イランのゲイカップルのインタビュー(1)の続きです。

ここには2つの問題があると思います。なぜ人々は同性愛者を「evakhahar」と呼ぶのか。そして「evakhahar」とはどういう意味か、というものです。またKamranさんは、歌手や映画俳優などの有名人、つまり人々がいつも見かけて、ある意味で毎日交流している人物[の中にも同性愛者がいる]ことも挙げられましたね。ではなぜ同性愛が受け入れられないのでしょうか。

 Kamran:文化と考え方からして受け入れるのが不可能なのです。せいぜい、ゲイの有名人は普通の人とは違うのだと言うだけでしょう。実際には違いはありません。有名人であろうと、僕と同じ性欲の持ち主なのです。
 もう1つの点については、男性同性愛者は「ゲイ」と呼ばれます。ゲイとは、男性的に振る舞い、男性の服装をして、男性とつきあうことを望む男性です。イラン文化において、ゲイとはメイクをして女性のような振る舞いをし、女性の服装をする男性だと考えられています。こうした男性は「evakhahar」と呼ばれます。しかしこうした男性はゲイではないことが多いのです。彼らは単にドレスを着てメイクをしたいだけで、つきあう対象は異性なのです。

 Kaveh:人々は「evakhahar」という言葉をその場その場で使い分けているように思います。僕も「evakhahar」と呼ばれたことがあります。状況次第なのです。「evakhahar」とは社会のカテゴリーに合わない人々のことですよ。たとえば僕がZaferanieh(テヘラン北部の富裕層の居住地域)に住んでいるなら、派手なヘアスタイルで眉毛を整えてイヤリングをしていたとしても、「流行の最先端だね」と言われるだけです。誰もがそれをすごくクールだと思うでしょう。ところがKhorasan広場(テヘラン下町の宗教心が強い労働者階級の住む地域)に住んでいるなら、こんな服装をして家から出ると「evakhahar」と呼ばれることでしょう。周りの人々の価値観と合わないからです。このKhorasan広場に住む「evakhahar」はどんなカテゴリーにも適合しません。このゲイは、お金がないのでコンピュータを持たずインターネットもできません。そして自分の性的指向について語り合える友達もいないのです。ゲイコミュニティを見つけ出し、友達を作り、できれば友達以上の存在と出会えるようにと努力します。しかし自分の周りの世間のプレッシャーがあまりにも強く、お前は「evakhahar」だ、お前は女だ、と何度も何度も言われるために、彼はついに自分が女性だと信じ始めます。このプレッシャーを和らげるために、性転換手術を受けるところまで行ってしまうかもしれません。彼は会社の部長かもしれないし、従業員を雇う立場にいるかもしれません。でも彼は、自分の同類と何とかしてつきあうために、夜、友達と出かけるときにはメイクをするようになるかもしれません。こうして彼は自分の同類を見つけ出して性欲を満たすために、女性的に振る舞い、気を引くような態度を取り、両手を特定の形に動かすようになります。イランにはゲイコミュニティのための場所がないので、人々は彼を見て、「ああ、あそこにセックスをしたがっているevakhaharがいる」としか思いません。もちろん、どんな文化にも長所と短所があります。極貧の女性もいれば、極貧の男性もいます。異性愛者の中に売春婦がいるように、同性愛者の中にも男娼がいます。

それはつまり、テヘランの下町の住民に一般的な服装をした人物、自分の住む地域では完全に普通で、誰にでも受け入れられる服装をした人物が北部に行けば、それこそ放浪者かホームレスと思われてしまうということですか。

 Kaveh:まったくその通りです。

同性愛がファッションのトレンドで、クールであり、ゲイであることやゲイの友人がいることが上流階級の証拠であり、洗練された開かれた心の象徴だと多くの人が考えています。これについてはどう思いますか。

 Kamran:ええ、同性愛は何となく上流っぽいものとして商品化されています。しかし一方では、夜、食べるものもないゲイの人々も存在しています。同性愛は経済的に恵まれているかどうかには何の関係もないのに、一部の人々は流行のスタイリッシュなトレンドだと見なしているのです。

つまりテヘラン北部に住む男性にとって、イヤリングや指輪をつけ、スポーティでクレージーな髪型を決めて、奇抜な服装をしても異性愛者でいられ、逆にファッションとしてのゲイ男性を気取ることが可能なのですね。

 Kaveh:ええ、実際にはゲイではないのに、周りの人に自分はゲイだと言いふらしている人がたくさんいます。テヘランではゲイは、南部のゲイと北部のゲイという2つのグループに分かれています。上流階級のゲイと労働者階級のゲイと言い換えてもいいでしょう。労働者階級のゲイは生きるために懸命です。彼らには仕事がないのです。何とか仕事にありついても、すぐに仕事場で次々と問題が生じます。このため一般的に、彼らには収入と言えるほどのものがありません。親が小遣いを与えることもありません。学校に行く金も、本を買う金も、授業料を払う金もありません。お金がないため高等教育を受けるのは初めから無理です。近所の人にはあざけられ、友達を作るのもきわめて困難です。今どきの若い人々の多くは服やブランドにとても気を遣うので、ますます彼らは辛い状況に追い込まれます。こうしたゲイたちの直面している問題は、富裕層のゲイが抱える問題よりはるかに激しく、恐ろしいものです。もちろん富裕層のゲイにも困難がないわけではありません。彼らは通常、親から車と住居とお金を与えられた上で、「どこかに行って、親とはかかわりなく勝手に暮らせ」と言い渡されます。こうしたゲイたちは高級住宅街にすてきな邸宅を構え、自営業を営み、親から小遣いをもらい続けます。労働者階級のゲイが上流階級のゲイと関係を持つこともよくあります。彼らは新顔として珍しいうちは上流階級のゲイの相手にされますが、しばらくするとこうした関係は当然ながら終わりを告げます。これは上流階級のゲイにとって手頃な遊びの1つなのです。

 Kamran:イランは厳しい階級社会ですが、この2つの階級は常に互いに関係を持っています。関係を持たざるを得ないのです。

同性愛者の数は増えていると多くの人が考えています。家族のレベルでは、身近に、それこそ個人的に知っている人の中に同性愛者がいることが何年も前から認められていたのですが、最近、ゲイがファッショナブルと見なされるようになってからますます多くなっているようです。なぜ人々はこんな風に考えるようになったのでしょう。

 Kamran:理由は明白です。僕たちは5年前には連絡を取り合う手段がありませんでした。今ではどの家にもコンピュータか衛星放送のアンテナがあります。10年前には自分がゲイであることを自覚するための広域的な媒体がありませんでした。しかし自分の心の中の感情を自覚していなかった多くのゲイが、テレビや衛星放送の番組を見て、自分がゲイであることをに少しずつ気づき、自分のアイデンティティに目覚めています。僕の考えでは、さまざまな議論が始まり、文化が進み、通信手段が発達するにつれて、より多くのゲイがクローゼットから出てくるでしょう。同性愛者は蟻のようにほっておけば増殖して増大するものではありません。同性愛者は常に存在していましたが、徐々に社会の中枢にも見える存在になってきているということです。

(パート3に続きます…。このインタビューの翻訳はKEIさんがしてくださいました。これからもイランのLGBTの人たちのこと、LGBT難民のことなど、できるだけ生の声を伝えたいと思っています。それで、翻訳、記事集めなどのお手伝いをしてくださる方を常に募集していますので、やってみたいと思われる方がありましたら、お気軽に管理人までご連絡ください。よろしくお願いします。また、こういうことを知りたいというリクエストがありましたら、それもお送りください。メールでの連絡でなくとも、コメント欄にひとこと残してくださってもかまいません。こちらもよろしく。)

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